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夕焼け塾

武士道(夕焼け京都塾)

日曜日、夕焼け京都塾に行きました。

講師はアレキサンダーベネット氏、内部講師は山折哲雄塾頭でした。

ベネットさんはニュージーランド出身で,色んなスポーツを経験されましたが、日本に来て剣道をする事になり、他のスポーツにはないものを感じられた経験をお話くださいました。

最初に感じられた違いは勝負よりも、気剣体の一致というプロセスを大事にするという点だとの事。

得点したり、勝ったら大喜びして終わりという結果重視ではなく、剣道に於いては審判は、打突部分・打った時の心の状態・刃筋正しく打っているかどうか・打った後の気持ち(残心)などを見るといいます。

 

残心は自分の身構え・気構えであり、剣道においては相手に対する思いやりでもあり、残心があって一本となるとお話されました。

そして、「一本」には前のプロセスと残心があり、「一本」の美というものがあるとお話されました。

 

しかし、柔道では惜しかったら「技あり」「有効」などと言い、点数が付きます。形はどうでも良くなっていて勝つことが全てとなっています。

オリンピック種目になった事で金メダルがゴールとなり、勝った選手はすぐさまガッツポーズをします。残心はあまり見られません。

 

プロセス・心のやりとりがなくなっている事、全てのスポーツにおいてスポーツマンシップが無くなってきている事をベネットさんはとても嘆いておられました。

相撲の世界で横審が何故、ガッツポーズを嫌うのか、少し分かった様な気がしました。

 

ベネットさんはまた、剣道をする事で、自分がミスした事は全て自分の責任だと思うようになったと話されました。

運がが悪いとも言わなくなり、自分に「残心がない」と思うようになったそうです。

残心をもって生活する(後先の事を考えて生活する)事が生活の知恵を得ることにつながったのだと教えて頂きました。

 

剣道はやればやる程得る事が多く、生き方も死に方も教えてくれる、ベネットさんにとっての宗教だと話されました。

厳しい暑稽古や寒稽古で何度も「死んだ」と表現しておられました。しかし身体が限界を感じる中で、何度も倒されていると、しだいにフワフワして変な気持ちになり、だんだん倒されても平気で起き上がれるようになっていったと言います。何かを求めている訳でもなく「これだ」と思われ、剣道に魅せられていったそうです。

厳しい稽古を重ねるうち、「武士道とは死ぬこととみつけたり」の言葉通り、いつでも死ねる勇気をもてるようになったと語られました。

 

「根性と武士道の関係は?」と問われ、武士道を実践するには自分の身を捨てる根性が必要と答えられました。

そして勝負においては自分に負ければ相手に負ける。自分の念に集中し、消極的な声をなくす(ゾーンに入る)事が大事で、勝負の行方は神様に委ねても良いと述べられました。

 

どの言葉もベネットさんの経験に裏打ちされていて、その雰囲気からも、厳しい剣道修行により武士道の精神を修められた人なのだと感じられました。

やはり、自分を追い込む事もしなければ、真の強さは手に入れられず、真の自分には辿り着けないのだろうと感じました。

 

大峯山で死の恐怖に慄いていた(9月のブログ参照)僕は、いつでも死ねる勇気には程遠くcatface、まだまだだなあと思いますcatface

これから歩む道、僕も自分のゾーンに入っていこうと思います

 P.S.

ベネットさんが自分を追い込むところを見てみたかったですが、そうもいかないので、家に帰ってから僕が尊敬する剣士、栄花 直輝さんのビデオを観ました。

この数年間で何度も観ましたが、ベネットさんにお会いしてお話を聴いた後で観ると、栄花さんの心の変化や精神など、前よりも雰囲気を感じとる事ができました。

とても気合が入る映像です。YouTubeにも映像があったので、是非、下をクリックして観てみてくださいねwink

 ただ一撃にかける1   ただ一撃にかける2   ただ一撃にかける3

夕焼け京都塾 

今回の夕焼け京都塾では森林再生支援センターの高田研一先生のお話でした。

「森を極めて後、バクテリアで世を語る」でした。

最初にお話された事は、森や自然との関わり方を例に挙げられ、「日本人はもともと色々なパターンを考える文化をもっていた」という内容でした。

ただ、今の日本には西洋的な考え方が入ってきており、(良い土)⇔(悪い土)、「未熟」→「発達」などの2元論が浸透しており、高田先生が植樹の活動をされる時にも、今の日本人の傾向がよく見られるといいます。

植樹をしていると、若いスタッフは年輩の方よりも何倍もの数の植樹をします。そして、森や木の多様性(木の種類・場所・性質・成長の速さ・長さ・微生物の事)や植樹の仕方について熟知しておられる年輩のスタッフを「仕事が遅い」と言って叱りつけるという構図があるそうです。

一つ一つの見えないものに価値がおけず、数だけで動き、お金だけで動く、そのような現代の日本人の傾向を指摘されました。

現代の日本人は頂を目指そうとします。僕にも思い当たる事が多々あります。

しかし、高田先生は「移ろいゆく人間に本当の頂などなく、脈々とつながってゆく事の価値を知るべき」と話されました。

世の中もまた移ろいゆくものです。その事も含めて考えると、大切なことを受け継いでいく生き方こそ本当に価値あるものだと感じました。

 

土や微生物の多様性についてもお話を頂くうち、「ある微生物が放射性物質を減少させる性質をもつ可能性が高い」ということをお話されました。ベクレル値もシーベルト値も明らかに下がるのだそうです。

しかし、何十もの団体がこの微生物による処理を提案しても、科学的に証明できない為、受け入れられないと聞き、愕然としました。

高田先生は、この微生物が用いられるよう働きかける為、これから日本全国を飛び回るとの事でした。

山折塾頭は自らが体調を崩された時に、鍼灸治療でとても回復された体験から、経験に基づく方法というものは素晴らしく、高田先生に是非頑張ってもらいたいとの意志を伝えられました。

みんな一斉に拍手をし、高田先生を応援しておられました

僕も心から応援したいと思います

教わった事を受け継げる人間になれる様、精進したいと思います

 

〈番外編)

山折先生が「経験に基づく東洋医学は素晴らしい」とお話されましたが、

医療に携わる私から一言付け加えさせて頂けば、厳密には、西洋医学も含めた医学、それから化学・物理学・生物学・微生物学・地学・天文学などの自然科学は全て経験論的学問です。

医学を例に挙げれば、薬は机上の理論が先にあって、それに基づいて作られるのではありません。実験室で様々な物質を組み合わせたり、その物質を病原に当ててみて反応を観たりと様々な実験と統計を経て薬が生み出されます。実験はそもそも経験的です。

薬が効く機序などは後付けされた理論です。

外科学が経験論的であることは言うまでもありません。

化学においても物質の構造や反応の観察があって、化学反応式で表されます。

物理学で学ぶ公式は事象の真理ですが、その物理学でさえ、公式が生み出された過程には、実験と観察があります。

ガリレオ・ガリレイの「落体の法則」が良い例です。ピサの斜塔から2つの物体を落とし、それを観察した後に公式が導き出されました。

自然科学分野のノーベル賞受賞理由をみると「~の発見」「~法の発見」「~法の開発」などというものが殆どで、「発見」「開発」という言葉から、最先端の自然科学でさえも、経験論的科学であることには違いないと言えます。

「~の応用」というのもありますが、これも今までの成果を応用したものです。

自然科学は理詰めで発展してきた学問ではありません。

よって現段階では、信奉できる対象とはなり得ず、未知の事象を否定する物差しにもなり得ません。

 

 真に机上の理論でのみ証明がなされ、法則が導かれる学問は、数学のみであると言えます。

また、この法則を用いて真に事象の真理を解析できる学問は、数学と物理学(力学分野)のみであると言えます。

 

自然科学が全て経験論的学問であるとの見地に立った時、これまでに得た自然科学の知識でもって、未知の事を否定するのではなく、解決するべき問題に対し、可能性のある事はどんどん試みる事こそ、科学者が選択すべきことと思います。

山折塾頭や高田先生の様に柔軟で積極的な姿勢であってこそ、自然科学が発展し、社会貢献につながると思います。

高田先生の活動を心から応援したいと思います

 

今年一番の夕焼け空

12月25日、高校駅伝を見た後、東山の正法寺に向かいました。

今年最後の夕焼け京都塾がありました。

お寺に入ると、このブログを見て、夕焼け京都塾に興味をお持ちになられた大八木様がきてくださっていました。

新たな出会いに感謝です

お天気も良く、共に学ばせて頂く幸せを感じながら講義に聴き入りました。

数分経ったところで、日の入りの時刻になった様で、一時中断してみんなで日の入りを見ようという事になりました。

美しい夕焼けで、見惚れてしまいました

静寂の中で、カメラのシャッター音だけがよく聴こえていました。

夕日が見えなくなり、日の入りの余韻が残る中、講義が再開されました。

この日のテーマは「情報と京都の値打ちを考える」でした。

山折哲雄塾頭と、京都新聞相談役の斉藤  修 氏の講演・対談形式で行われました。

斉藤先生は先ず、東日本大震災の時、東北の取材に行かれた時に感じた事をお話されました。目で見て感じた事は、見るもの全てがモノトーンであったという事、耳で聴いて感じた事は、重機の音と雨音だけが響いていたという事でした。

そして輪転機が止まってしまった地元紙の報道機関が、何とかして役立つ情報を提供しようと奮闘された事などをお話されました。

作家の五木寛之さんの言葉に「情報とは字の通り、情けを伝えるものだ」というものがあり、まさにその言葉通り、東北の地元紙の方々は「自分達も被害者だから、困難な中、報道を続ける事が出来た」と言われたそうです。

それでは、何事もなく暮らしている私達の周りに流れる情報はどうでしょうか?

情報の「情」は近年、欠乏しているといわれます。

「情」の欠乏は「和」の心の欠乏ともいえます。

京都には平安京遷都以来、1200年の「和」の文化がありますが、私達はこれを見直し、発掘してきただろうか?と山折先生が疑問を問いかけられました。さらに、京都は精神性・宗教性の宝庫であり、発信する価値があるものなのに、現状では発信できていないと指摘されました。

この事は、先日、僕が強く感じた事と同じでした。

先日、奈良の平城宮に行ってきました。朱雀門や大極殿、庭園などが見事に復元され、奈良時代の貴族の暮らしや文化を非常に身近に感じる事が出来ました。

それは、長年の発掘調査と研究に裏付けされたものでした。資料館には道具や木簡だけでなく、発掘や研究の経緯が記録されていて、そのスケールの大きさに心を打たれ見入ってしまいました。

さらに、有難かったのは、ボランティアスタッフの解説でした。各施設に常駐していて、特に資料館では10人近くの方が、嬉しそうに声をかけてこられ、とても親切に解説をしてくださいました。発掘の経緯や地元の大学の先生方の功績を熱弁されるお姿をみて、奈良の皆さんが天平文化をとても深く愛していて、伝えようとする意思を強く感じました。

僕が京都から来たと話すと、平安京や長岡京との関連のお話も聞かせてくださり、とても素敵な文化交流が出来ました

奈良を訪れた経験や、山折先生のお話を聴き、文化を楽しむだけでなく、心が欠乏している現代社会に、京都からも何かを発信すべきという思いがしています。

どちらかというと私達世代の人間は、京都の1200年続いた素晴らしい文化にぶら下がっている感じがします。

その理由には、伝えようとしなくても、京都には観光客があふれているという事があるかもしれません。

しかし、観光客が多い理由は京都の政策の中心が観光客を呼ぶことになっているからとの事で、さらに、斉藤先生は、文化を発信した結果、観光客が増えるのは良いが、お金儲けが先になってはならないと、指摘されました。

やはり、山折先生が言われるように、京都に住む私達が、京都の文化を見直し、発掘することは、大切だと思います。

これから自分の出来る範囲で「和」の文化や心に触れ、発信できる何かを見つけたいと思います

夕焼け京都塾

日曜日、夕焼け京都塾に参加しました。

山折塾頭と三井寺・執事長の福家先生の対談が行われました。森林再生支援センターの高田先生もお話に加わって頂いていました。

テーマは「山川草木悉有仏心・・・大自然の真理と生物の多様性を考える」でした。

主題の言葉はそのまま読むと「山川草木にはことごとく仏の心があらわれている」となりますが、福家先生はこの言葉は悟りの末に得られる事なので、副題にある「大自然の真理と生物の多様性を考える」事が出発点であるべきとお話されました。

福家先生は中国の六朝時代の書家・王義之の言葉を引用されました。(王義之の〈義〉の正しいフォントがなくすみません)

王義之の著書「蘭亭序」に「目に見えるものには総て理があらわれている」という言葉が書かれているそうです。

私たち人間は今、人間の論理で自然を見て、人間の都合で自然に対しています。

しかし、土には土、木には木の理論があるので、自然にあった多種多様な「ものさし」をもつべきとお話されました。

その為には「自然の声に耳を傾ける事」が大切であり、その事が生物多様性の出発点であると強調されました。

土の塾の活動を非常にマイペースで行っている私には耳が痛いお言葉です。

副題にある「生物多様性」とは「生きものたちの豊かな個性とつながり」のことです。

また「多様性」には種類や遺伝子の多様性、生態系などの空間軸の多様性、また、加えて時間軸における多様性もあると山折先生に教わりました。

山折先生は多種多様な自然との関わりについて、鎮守の杜を例に挙げられ、ほとんどの国土が森で覆われている日本全体を1つの鎮守の杜として捉えるべきとお話されました。

この捉え方はとても素晴らしいと思いました。

日本に住む人みんながこの考え方をもって過ごせば、森が生み出している酸素、貯水して少しづつ供給してくれている水、森が生き物に供給してくれている食べ物など、全てのものに常に感謝の心をもって生きられるのではないかと思います。

日本の森への感謝の心をもてば自ずから自然を思いやる心が生まれ、自然の声に耳を傾けることが出来ると思います。

思いやりの心は広い心、つまり多種多様な「ものさし」をもつことにつながると思います。

福家先生は「大日経」を例に挙げられました。

大日如来という宇宙と一体の仏様は、常に私達に何かを語っておられる。その声を聞けるようになることが大事だとお話されました。

自然の声に耳を傾ける事と通じるものがあると思いました。

私たちは自然の声を聞く感性を育て、自然と一体になって生きていくべきと思います。

しかし、質疑応答の時、土の塾の八田塾長は人間の欲望を無くさない限り、自然の理に即して行動する事はとても難しいことだと述べられました。

私も畑作業をしていると、「便利に過ごしたい」「楽に生きたい」という自分の怠惰な心に直面します。

その欲望や怠惰な心はなかなか消えません。

「森のイスキア」の佐藤初女さんの言葉に、「“面倒くさい”というのが嫌いなんです。面倒くさいと言う気持ちの人が全てを壊していくなぁと見て感じてそう思ったんです。」とあります。

これもまた僕には耳が痛い言葉です。

欲望や怠惰な心を消すのは難しい事と思いますが、今回の夕焼け京都塾の講義を通して、自然の声に耳を傾け、1つ1つの事を行動していく事が大切だと思いました。

その感性を育てるには、自然への感謝の心をもって恵みを享受し、思いやりの心をもって自然と関わっていくのが良いと思いました。

「山川草木悉有仏心」、この言葉の真意を知ろうと今回の講義に参加しましたが、今は真っすぐに自然と向き合うことで欲望や怠惰な心を克服して、いつか「山川草木悉有仏心」を感じられるようになりたいと思っています。

 今回もとても有意義な時間でした。

フラメンコギタリストの中條さんの演奏を聴かせて頂きました

夕ご飯の時間には中條さんや、土の塾の浜上さん、森川さんと一緒に食べながら色んなお話をしました

浜上さんが作ってくれるお弁当がとてもおいしいです

夕焼け京都塾の皆様は自然を大切にする気持ちがとても強いです。

人間関係においても多種多様な「ものさし」をもち、皆様からいろんな事を学んでいきたいと思います

ブータン王国

京都西山にある土の塾での作業が終わり、東山の夕焼け京都塾まで足を伸ばしました。

夕焼けと夜景がきれいな東山の正法寺で行われます。

今日は山折哲雄塾頭と松下和夫先生(京都大学大学院地球環境学堂)の対談形式で行われました。

テーマは『ブータン王国に学ぶ』です。

ブータン王国は、国民の97%の方が「幸せ」だという国です。

まず、松下先生がブータンでの見聞をお聞かせくださいました。

その中で、最も印象に残ったことは、国民総幸福を政策の目的としていることでした。 

国民総幸福とは、「幸せは物質のみでは得ることができない。国民の幸せを考える時に必要なものは、最低限の物の豊かさは必要であるが、それプラス、国民個人の精神的な和が大切。家族の和、地域社会の和、それから、人間と大自然との和、そして、国民1人1人が自覚して、アイデンティティとして共有できる歴史、文明、文化が大事である」というものです。

政策の優先順位が明確であり、そして内容がとても詳細である事を知り驚きました。

詳細であるが故に、ブータン国では、義務や決まりごとが多い様ですが、評価すべきはリーダー層の知的レベル、思想、リーダーシップ意識の高さです。

私は、夕焼け塾の2日前にテレビでブータン王国の首相と、嵐の相葉雅紀さんの対談を見ました。

首相は「幸せ」について、

多くの人は「幸せ」と「喜び」を混同している。

「喜び」は感覚が満たされた時に感じるもの。

しかし、この「喜び」は一瞬のものですぐ何処かへ行ってしまう。

「幸せ」とは長く続くものである。

との見解を示されました。

この様に首相が瞬時に「幸せ」ついての明確な答えを導き出された事に深い感銘を受けました。

この見解は私が「喜び」について抱いていた疑問に解決の糸口を与えてくれました。

東洋医学では「喜び」という感情も度が過ぎると健康を害するとされています。

私は「喜ぶ」のは良いことなのに、なぜ健康を害する原因になり得るのか分かりませんでした。

ブータン国首相のお話で、「喜び」が瞬間的でしかないならば、自分から「喜び」を求める事は、「幸せ」に近づく手段とはならないと分かりました。

しかし、「喜ぶ」という状態自体が健康を害するということは想像できずにいたので、山折先生と松下先生にお尋ねしました。

すると、松下先生はご自身の経験から、周りの評価や賞賛を得た時、「喜び」が起こるが、それは「幸せ」とは違うものではないかといったお話をしてくださいました。

山折先生はある高名なお坊さんが山海の珍味をご馳走になったあと、泥水を出されて平気で飲んだとのお話をしてくださいました。

お話を伺い、自分が今まで喜んだ時の心の状態を思い返すと、周りの評価を得て喜んでいる時などは、本当の自分から離れているように思いました。こういった心の状態から驕り高ぶりが生まれ、分不相応な欲望を追う心になった事を思い出しました。「喜び」の感情の中にもこういった心が潜んでいることもあると気付きました。

私自身の「喜び」を深く見つめ、本来の自分から逸脱した「喜び」は、過度の「喜び」であると思いました。また「喜び」を追い求めて生きても、「幸せ」を感じる心にはなれないと思いました。

真のリーダー不在の日本では、健康で、「幸せ」を感じるには、私たち自身が深く心を見つめていく事が必要と思いましたeye

私は自分の為、また治療家としても、このことに真剣に向きあっていこうと思いますfullmoon

山折先生、松下先生ありがとうございました

夕焼け京都塾

京都夕焼け塾にきました。

京都土の塾の先輩、高橋さんの呼びかけで京都市東山区のお寺に集まり、山折哲雄塾頭を中心として様々な講師の方が対談形式で講義をしてくださいます。

今日は神社の宮司様と権宮司様が山折先生と対談をしてくださいました。

私は神社の自然と一つになっている感じがはとても好きですが、日本の神道は仏教などの様にこういう心であるべきとはっきり道筋を示していない事には疑問をもっていました。

またギリシャ神話と同様、古事記に記されている日本の神様は人間と同様に様々な感情をもち、失敗をしたりという事があるので、何をお手本にしたら良いのか解らないままでした。

しかし、講義を聴くうちに、日本の神様は土地や物に宿る神様であり、祖先神である事が多く、それ故に日本人は感謝のこころ・受け入れるこころ・相手を立てるこころを自然と身につけてこれたのだと知りました。

東日本大震災で被災された方々も、今は状況を受け入れられ、必死に立ち上がろうとされています。

世界の国々がその姿に感銘を受け賞賛されています。

私も被災された方々が前を向いて立ち上がられるお姿を拝見し、感銘を受け、勇気を頂いています。

今回の京都夕焼け塾の講義を受け、私も東北・関東の方々と同様、日本の自然と文化に育まれて生きてきた一人の日本人であるという事に誇りをもつことができました。

今日は昼間は京都の西山で農作業、夕方からは東山へ移動し夕焼け塾と、京都を西の端から東の端まで移動しながら、思う存分京都の自然と文化にふれました。

本当に京都の自然と今日かかわった全ての方に感謝です。

ありがとうございました 

 

観身堂整骨院

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